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В Июле как то в лето наше
Идя бредя в жару дневную
Шли два б
<р>ата Коля с Яшей
И встретили свинью большую.
Смотри свинья какая в поле
Идет
заметел Каля Яше
Она пожалуй будет Коля
На вид толстей чем наш папаша
.
 Но Коля молвил :
Полно Яша,
К чему сболтнул ты эту фразу?
Таких свиней как нащ папаша
Я еще не видывал ни разу








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七月 なにげに 我らの夏 
昼の暑さを行ったり来たり
行くのは二人き「ょ」うだい コーリャとヤーシャ
そして出会った でっかいブタに
「ごらんよ 野原になんてブタが
歩いてんだろ」コーリャがヤーシャにおしいたよ
「あいつは どうだろ コーリャ 
みた感じ おれらのパパよりデブになるよね」 
だけどコーリャはいったよ「うるせい ヤーシャ、なんでそんなこというんだよ?
おれらのパパほどのブタなんて
おいら
まだ一度も みたこたねえよ」




解説

 これは、わかっている限りでハルムスが一番最初に書いた詩です。この時ハルムスは17歳で、ロシア帝国時代は貴族が通ったような特権的なドイツ系の学校、聖ペトロ第一ドイツ学校の生徒でした。この学校は今もペトロシューレと名を変えて残っています。この学校でハルムスは英語とドイツ語の基礎を身につけたといわれています。
 この当時、ハルムスにはまだ詩人になろうという自覚はなかったようですが、この詩は当時若者の間で支持を集め始めていたフレブニコフやクルチョーノフといった未来派の詩人の影響をやはり感じさせます。
 特徴としては、文法としては決して正しくない言葉を、響きが面白ければ採用し、時には造語をいれ、またごく普通のありふれた単語にアクセントを加えることで、少し違ったイメージを引き出すといった、言語の可能性を創造してゆくようなところです。未来派はのちにアヴァンギャルド芸術に発展し、ハルムスが大人になった時には「人民の敵」の芸術として一掃されてしまいますが、この頃には全盛を誇っていたのです。
 
 ロシア語の原詩を読んでいただければお分かりになるかと思いますが、この詩は発音に綴りをあわせるなど、子供の書いたような詩のスタイルを踏襲しています。正確に翻訳するのは不可能なので、どうぞロシア語のわかる方は、原詩を参照しながら読んでいただければ、と思います。